勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし
野村克也の言葉として知られていますが、もとは江戸時代の大名で肥前国平戸藩の第9代藩主松浦静(静山)の「常静子剣談(じょうせいしけんだん)」に記載されている言葉です。
私たちが治療を行ってそれがうまくいったとき、治療法が良かったのかもしれませんが、実は偶然うまくいっただけのことがあります。本当はリスクと背中合わせだったのに、たまたま、運よくそのリスクを回避できただけの場合も少なからずあるのです。
PCIもそうです。術者の腕がよかったのでも、デバイスが良かったわけでも、治療戦略が正しかったわけでもなく、結果オーライでたまたま成功しただけという場合があるのです。
逆に、うまくいかなかったとき、そこには必ず理由があります。理由を考えないまま済ませてしまう、あるいは理由がわからないままでいると、必ず同じ失敗や合併症を繰り返します。(自分の手技を振り返らず、デバイスのせいにして、立ち合いの業者さんに文句を言う術者、いましたよね?)
なぜ、そのような治療法を選択するのか?どうしてそのようなデバイスを選ぶのか,手技を行うのか?と、問われたとき、
「今までずっとこの方法でやってきたから。」
「この方法で今まで一度も問題なかったので。」
という返事だけはしないように心がけています。
(国立国会図書館デジタルコレクションより)